おのれ判定基準を大切に。
一つの事柄について、複数の人の話を聞きすぎて、一体どれが本当の話なのか自分の頭の中で混乱したことはないだろうか。
以前私は、今の比ではない程にかなりなおっちょこちょいだった。 聞いた話に一時停止ボタンを押し、よく吟味してみるということを一切しないアホだった。本当にたくさんの話を鵜吞みにして痛い目に合ってきた。
簡単な例を挙げると、 言行が一致しない人を見抜けないってやつ。
どこかで違和感はあるのだが、それを誰かにに話してみて反対の意見をされると、自分が嫌な奴だと反省していた。しかし、後々には自分の感じたことが正解、という事実が浮き彫りになることがほとんどだった。
その経験から、一時停止ボタンを押し、自分の判定機を頼りにすることを覚えていったのだ。
人づて話には尾ひれが付いているし、その人の個人的な見解も注入されている。話のリレーの途中で少しずつ違うニュアンスに変換されていくのが常だ。その「鵜呑み」を、お勧めできかねるのは当然であろう。
人の都合というフィルターを通さない話は、聞いていても元気が出てくる。 ピンボケ話は焦点が合っていないので気持ちが沈むし体調も悪くなる。
フィルターを通した話をしている人の声もキンキンしていて耳障り悪しだ。
何か変だとモヤモヤする感じがしたり、寒気がしたりする話に対しては、
必ず、
「なにか臭うなー。」
を大事にし、立ち止まり自分の中に発生した矛盾を受け入れていただきい。
おのれ判定機を疑うことなかれ。 自分がピンときたこと、しっくりきたこと、前向きになれたこと、それらこそが必要な情報なのだ。
それは、私が数々の失敗から得た、頼りにしている判定基準である。